2007年02月10日

就職率99%のからくり

 久しぶりにブログに書く。

 なんだか最近、仕事で追い込まれている感がある。

 例えば、出し渋り。
 何か必要な材料の購入をしようとするとストップがかかる。とか。うちは倒産寸前なのではと疑いたくなってしまう状況である。正直、予備の在庫が全くない。

 それだけでなく、急に残るはずの資材が減少するとか。
 資材の減少に対する報告がないとか。

 それ以外に、突然の故障(らしきもの)に振り回される。とか。
 他の部門から仕事を押しつけられたりといったこととか。

 従業員が急な病に倒れる・寝込むといったことにも襲われた。
 その人の仕事は直接的には管轄外だが、会社としては重要なのでやらざる得なくなる。(例えば、広報をやらなかったら商品が売れなくなるという現象とか)

 ・・・これくらいなら、まあよいとしよう。

 私が許せなかったことがある。

 従業員に対する「どうせ使い捨てだから」発言。

 これにはさすがにキレた。いじめられるのは今の世の中、どこにだってある。しかし、こればかりはどうにも許せなかった。

 確かに、会社というのは従業員を金で雇っている。クビになることもしばしば。

『人なんて使い捨て、金さえ払えば後はどうにでもなる』

そんな気持ちになっても仕方がない。無論、そんな風に考える人間は多いだろう。

しかし、私自身は、その発言が許せなかった。
世の中そんなものといわれてしまえば終わりだが・・・。

でも、哀れでもある気がする。なぜなら、人に向かって「使い捨て」発言をするという場合、それは、ある意味、自分に向けてもそれが言えると認識しているからである。

例えば、『私はあなたより要領も良く、仕事も出来る』と言ったところで、そいつより仕事が出来るやつはごまんといる。自分より仕事が出来る他人がいれば、自分は単なる『つかいすて・役立たず・価値のない人間』なのだろうか?

私はそれを否定したいのだが・・・。なぜなら、人間誰しも70%ぐらいで、完全になんてなれないのだから。

完全な存在・・・それを求めるなら、自分の価値観にあった商品をサイボーグでオーダーメードで購入しても良いんじゃないでしょうか?(無論、そんなのはまだ先の話でしょうが・・・そんな時代になると、人間はほとんど不必要になる気もしますね)

 私はそれと同じように、『完璧な合格率』『完璧な就職率』などというのを信用していない。

 試験にはみんな合格したいと願っているはず。私が通った高校の教師は、よく『ここは重要だぞ』と試験前にポイントを教えたりはしていた。だが、その場合でも50点未満というやつはいた。でも、だからといってそれがそいつに『才能がない』というわけではない。話していると安心出来る存在であったり、いざというときの力持ちであったり。だから、実際は、レポートを書かせたりして落第を免れる人は多いのである。

 で、『完璧な合格率』『完璧な就職率』は本来の状況であれば、よほどの秀才揃いかきちんと勉強しているもの、もしくは簡単な試験でなければ存在しないわけで・・・。というか、『就職率』についてのからくりはというと・・・。例えば3ヶ月程度の派遣やら正社員の試用期間中での首切りとかだったりするようである。

 でも、この場合の就職率は嘘ではない。それに、就職の場合は、コネなんかやらもあったりするから、仕方がない。

 しかし、試験はそれをやるとその試験の信用ががた落ちになってしまう。最近、ネットをつかった試験(マイクロソフトの資格試験など)に人気があるのも、不正が起きにくいという点からだろう。私個人は、試験は公正に行って欲しい・・・と願っている。

 急に話がそれてしまったが、人には数値で出てくる部分と、数値では出てこない部分が存在する。なぜなら、数値そのものが、ある一方だけから見た「価値観」に基づいているからだ。「仕事が出来る」「出来ない」という評価は構わない。しかし、「(人は)使い捨て」というのは、正直発言者自身に対する侮辱にもつながると言わざるえない。私はそう思う。

※この話はフィクションです。
posted by プロジェクトG at 23:01| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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