2006年11月30日

事実を伝えることの寂しさ

事実を公表することは寂しい。
なぜ寂しいのか?
人が真実を・思っていることを話せなくなるからだ。

よく考えて欲しい。

人間は完全な生き物ではない。

時には(私の場合は結構かもしれないが・・・)失敗し、時には妥協しなくてはいけないことがある。

当たり前だ。規定で決めた規格品の生き方、法律で縛った生き方なんて出来るはずがない。



・・・しかし、時として人は規定を使う。

・・・良かれ悪しかれ自分の利益を守るため。

やさしさのために規定を破ることもある。私利私欲のために規定を破ることもある。両方を兼ねている場合もある。



まあ、そんな世の中なのだが、その中で、なぜ私はネット上でいろいろ書くようになったのか?

それは、数年前の出来事にさかのぼる。

当時ネットを楽しんでいた私は、ちょっとしたミスが原因で、とんでもないことに巻き込まれてしまったのである。

そのことから、一時期、私はネットに足を踏み入れなかった。しかし、私は、本音をぶつける友人もおらず、もし話したとしても、理解することはないだろうと悟った瞬間、本音をネットに昔以上にぶつけるようになったのである。

しかし、単に本音をぶつけるだけでは、自分が傷つくだけで終わってしまう。でも、書くことによって、誰も読まずとも、自分の整理が出来るし、読んで批判を受ければ、それはそれでいいと考えることが出来ると考えたのである。

黙っていても『ぐしゃっ』と潰されるのは目に見えていた。ならば、黙らずに公に発言するしかないと思ったのである。

しかし、真実を話す人は寂しさに耐えなければならない。
時として勘違いやお馬鹿なことを書いて笑われ、時として切り捨てられるだろう。

でも、黙って潰されるよりか、はるかに良いではないか。

どうせ同じ道(人生)を歩むなら、そっちの方が気が楽である。

私の人生は短い。悲しい。
それを覚悟で走る。生きるという実感をつかむために。

*****

この話はフィクションです。
posted by プロジェクトG at 22:48| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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