2007年06月19日

作業効率悪化パターン集(2)

※この話はフィクションです。

・事務的作業効率悪化白書(つづき)

 ・規定隠し・マニュアル隠し

 世の中、仕事を簡便化するために規定やマニュアルがある。
 しかし、もし、誰か(もしくはグループ)の手でマニュアルや規定が隠されてしまったら、どういう事になるだろうか?

 バイト君は、先日、ある規定の断片を発見した。
 そこには、「平成16年4月適用」の規定の一部が書かれてあった。しかも「ページ」が表記しているものである。

 ところが、会社におかれている規定の中には「平成13年度適用」の古い規定のみが残っている。もちろん、きちんと「ページ」がふられて整理されている。いままで、バイト君はそれを知らずにこの規定集を使用していた。

 ここで一つ考えなければならないことがある。

 単に規定集の整備が悪くて新しい規定が置かれていないならば単なる不整備で済む話である。

 しかし、これを「集団による隠蔽」と断言するのには訳がある。

 それは「ページ」が振られていたことだ。

 「ページ」を振るのは、冊子になっているからである。(でなければ、ページ番号は存在しない)

 残念ながら、この事件はこの問題が「単なるいじめ事件」で済まないことを示唆していた。

 例えば、お局様が後輩をいじめるのに、「礼儀を知らない」だの「仕事が出来ない」だのといびるのはよくある話である。
 ところが、「規定やマニュアルを隠す」「仕事上必要な事例に関して嘘を教える」「(給料明細などの)書類を渡さない・偽造する・税金等の支払いを意図的に行わない」などという話になると意味合いが違ってくる。「いじめ」から「詐欺などの集団による犯罪行為」に発展する可能性があるのだ。

 こういう嘘を信じて行動すると、行動した人は社会的信用を失い、ひいては「頭がおかしい」と非難される、もしくは、実際に頭がおかしくなったり、そういう風な話に持って行くようにし向けられることとなる。

 これは、旧ソ連が実際に行った手法である。「頭が狂っている」と思わせて病院に行かせ薬物投与したなどの事例を、昔、本で読んだことがある。「所変われば品変わる」ではないが、人間の社会的信頼を崩すのには、多少の良心を買う金、演技、地位と名声を持った人間がそろっていれば簡単にできる。(もっとも、近年では、薬や機器など、やろうと思えばさらに簡単にできるようになった)

 また、このような社会になるであろう事は、バイト君はとある学者から面白おかしく聞いていたのである。無論、バイト君はこの学者から嫌われていた(殺意すらいだかれていた)かもしれないというのはうすうす感じてはいたが。

 ・・・職場でにやにやしながらいじめる事の快感をぼそっと話したドザエモンの姿をみて、バイト君は、ドザエモンが受けたであろういじめ(犯罪?)のすごさと、その屈辱から堪え忍び、いじめる側に立つまでのサクセスストーリーをみて、様々な思いを巡らせる事となった。そして、改めて、「日本の見せかけの平和の裏側に忍び寄る残虐な闇」を思い知るに至ったのである。この闇には、昔、差別によって苦しめられた人の怨念が眠っており、その怨念と形式的慈愛(本来の愛や差別廃絶などではない、単なる形式的な差別撤廃措置)を復讐にかえたり、利用したもの、逆に単なる差別をしようとする心理も含まれている。

 無論、このような巨大な闇をたった一人の個人が変えれるわけではない。しかし、中国のある小説家曰く、「誰かが歩かなければ道はなく、誰かが歩いていればひょっとしたら道が出来るかもしれない」という言葉に基づき、このことを記録することとする。(ただし、こんな記録など消そうと思えばいつでも消せそうだが・・・)

 うつ病や精神病にさせられたり・(薬殺や洗脳等により)犯罪(や仕事上のミス)を偽装されたり・(薬殺や洗脳等により)殺されたり・脳を破壊されたり、内臓等の病気にさせられたり(すでに何らかの病気になったり)するだろうことは大いに予測される事である。もしくは、仕事を無くすかもしれない。誰も相手にされなくなるかもしれない。

 でも、それが時代の流れであるならば、それはやむ得ないのだろう。

 昔、とある都市にて海の上に飛行場とその周辺に港と工業地帯が発展することを思い描いた少年は、その夢は別の人間の手によって実現したが、結局真面目に生き、多少傲慢ではあったが、最後は少しでも正しいことをしようとしつつ、馬鹿にされて殺された(壊された)・・・と、まさにドラマにすれば最悪のストーリーではあるが、それが現実であるならば、伝えなければならないのかもしれない。

 選ばれた者は報われない。寵愛された者がいつまでもそうであるとは限らない。まさに人間万事塞翁が馬なのである。中国の西太后が、皇帝に寵愛を受けていた后の手足を切り取り、酒樽に入れて殺害した話などは有名である。もっとも、その后、「私の心の中までは犯せない」などと言ったそうだが。しかし、それも昔の話である。

 これからは演技と操り人形の時代なのかもしれない。泣かないといけないと決められたときにのみ涙を流し、笑わないといけないと決められたときにのみ笑い、怒らないといけないと決められたときにのみ怒る時代。それ以外はいつも笑みを浮かべ、丁寧な敬語をしゃべり、その腹の中で何を想う?それは「愛」か、それとも「憎しみ」か、それとも「何も考えていない」のか?

 無論、ごちゃ混ぜな感情なのかもしれないが。

 でも、この度は、いろいろ書けてすっきりした。もし、これを読んでいる者の中で、自分がトップになろうとするものがいるとするならば、少なくとも今後は、人が自由に笑えるときに笑い、泣けるときに泣き、怒るときに怒れる社会を作って欲しいと思う。もっとも、悪いことは悪いとしなければならないが。

 バイト君に物語の菅原道真みたいな力があればいいなぁ・・・と思う今日この頃である。生前は害をなす者に何も出来ないが、死んだときに害をなす者を退治できる力があればどんなにいいだろうか、と。
 もし、そんな力があれば、間違って悪くない人までもを罪に問うことはないだろうから。

 ・・・と書くだけ書いたら、バイト君はすっきりした。幸せになった。さあ、寝るとしよう。
posted by プロジェクトG at 01:11| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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